コラム#131行動経済学

その正論、結果が変わっても同じこと言えますか?

その正論、結果が変わっても同じこと言えますか?

どーも!とーるです!

最近、ずっと引っかかっていることがあります。

SNSって、なかなか不思議な場所だなと思います。

たとえば、誰かが批判されたとき。

反論すれば、「いちいち反応するな」

無視すれば、「都合の悪いことから逃げるな」

ブロックすれば、「ブロックするくらいなら、SNSやるな」

でも、批判を受け続けて傷ついていると、
「嫌ならブロックすればいいじゃん」

……あれ?

さっき、ブロックするなって言われませんでした?

どれを選んでも、言われる言葉がある
どれを選んでも、言われる言葉がある

もちろん、全部を同じ人が言っているわけではありません。
ただ、どれもSNSで、よく見かける言葉です。

今回は、誰が良い・悪いを決めたいわけではありません。
「同じ行動なのに、結果によって評価が変わる」ことについて、一緒に考えてみたいんです。

どの道を選んでも、何か言われる

どの道を選んでも、何か言われる
どの道を選んでも、何か言われる

続ければ、「そんなメンタルなら、発信するな」

休めば、「その程度で休むなら、向いてない」

やめれば、「メンタル弱すぎ」

ひとつひとつは、それぞれの立場からすれば「正論」なのかもしれません。

でも、全部を同時に求められたら、発信している人は、どうすればいいんでしょう。

心理学には、どちらを選んでも否定されてしまう状況を指す「ダブルバインド(二重拘束)」という言葉があります。

SNSの言葉が、すべて厳密にこれに当たるわけではありません。
ただ、受け取る側からすると、かなり近い状態になっていることはあると思います。

これ、一部の人だけの話ではありません

総務省の「違法・有害情報相談センター」に寄せられた相談は、2025年度で6,715件。
2010年度の1,337件から、およそ5倍に増えています。

法務省が2025年に救済の手続きを始めた人権侵害の事件のうち、インターネット上のものは1,569件。
こちらも、高い水準が続いていると発表されています。

2022年7月には、ネットでの誹謗中傷が社会問題になったことを受けて、侮辱罪の罰が重くなりました。
それまでは、罪の中でもいちばん軽い部類だったものが、懲役(いまは拘禁刑)や罰金も科せるようになっています。

数字で見ると、「たまたま目にした、ひどい人の話」ではないことが分かります。

※引用元
・総務省「令和7年度 インターネット上の違法・有害情報対応 相談業務等の請負 報告書(概要版)」
https://www.soumu.go.jp/main_content/001078095.pdf
・法務省「令和7年における『人権侵犯事件』の状況について」

https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken05_00117.html
・法務省「侮辱罪の法定刑の引上げ Q&A」
https://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00194.html

結果が変わると、言葉が変わる

もうひとつ、気になっていることがあります。

批判を受けた人が、疲れてアカウントを消したとします。

すると、「その程度でやめるなら、向いてない」
「批判される覚悟がないなら、発信しないほうがいい」

という声が出てくることがあります。

では、その人がSNSだけでなく、仕事までやめてしまったら。
お店を閉めてしまったら。

そして、取り返しのつかない結果になってしまったら。

たぶん、聞こえてくる言葉は変わります。

「誹謗中傷は、許されない」
「言葉で人を追い詰めてはいけない」
「周りが守ってあげるべきだった」

同じ言葉でも、結果によって評価が変わる
同じ言葉でも、結果によって評価が変わる

ここで、少しだけ考えてみたいんです。

その人が浴びていた言葉は、同じだったはずです。

変わったのは、言葉ではなく、結果のほうです。

結果バイアス——人は「過程」より「結果」で判断してしまう

行動経済学・心理学に、結果バイアスという考え方があります。

判断がよかったかどうかを、その中身ではなく、あとから出た結果で評価してしまう心理です。

1988年の研究では、同じ手術の判断を説明したうえで、「患者さんが回復した」と伝えるか、「亡くなった」と伝えるかだけを変えました。

すると、判断の中身はまったく同じなのに、悪い結果を聞いた人ほど、その判断を「よくなかった」と評価したんです。

身近な例でいうと、こういうことです。

荒い運転をしても、事故が起きなければ「運転がうまい」と言われる。
事故が起きれば「危ない運転だった」と言われる。

でも、事故が起きなかったからといって、その運転が安全だったわけではありませんよね。

SNSの言葉も、少し似ているのかもしれません。

やめたら「弱い」。
取り返しのつかない結果になったら「許されない」。

言葉の重さを、言葉そのものではなく、結果で測っている。

人は、他人の苦しみを何で測っているのか

ここで、もうひとつ考えてみたいことがあります。

人は他人の苦しみを、何を基準に判断しているのでしょうか。

その人の心の中は、外からは見えません。
見えるのは、やめた、休んだ、閉めた、という目に見える結果だけです。

だから第三者は、結果が出るまで、相手の苦しみを測れない。そして測るときには、たいてい「自分だったら」を物差しにしてしまいます。

「自分なら、これくらい平気」
「自分なら、気にしない」

でも、同じ言葉でも、受け取る重さは人によって違います。
その日の体調や、それまでに積み重なっていたものによっても変わります。

他人が受けた心のダメージを、第三者が自分の基準で評価することはできません。
評価していいものでも、ないと思っています。

批判していい、という話と、どれだけ傷つけたか、という話は別

「そんなメンタルなら、SNSやるな」という言葉があります。

これは、「批判に耐えられるかどうか」の話をしています。

でも、それと、

「他人を傷つける言葉を、口にしていいかどうか」

は、まったく別の問題です。

相手が耐えられる人なら、何を言ってもいい。
そういう話には、ならないですよね。

ここで誤解してほしくないのは、批判すること自体が悪い、と言いたいわけではないことです。

発信する自由があるのと同じように、その発信に意見する自由もあります。
内容に問題があれば、指摘されることもあるでしょう。

ただ、

その批判が正しいかどうかという話と、
その批判で、相手がどれだけ傷ついたかという話は、

別々に考えたほうがいいと思っています。

そしてもうひとつ。

批判する自由があることと、相手にその批判を受け取り続けさせる権利があることも、別の話です。

「ブロックして逃げるな」という言葉は、ここが混ざってしまっているのかもしれません。

誰の言葉を見ないか、誰と関わらないかを決める自由は、発信する人の側にもあります。

結果を知る前と、知った後

結果を知る前と、知った後
結果を知る前と、知った後

僕たちは、自分が正しいと思うことを、わりと簡単に口にできます。

でも、その正しさが、別の場面でも同じように成り立つとは限りません。

たとえば、相手がSNSをやめただけなら言える言葉。
それが、取り返しのつかない結果のあとでは、とても言えなくなる。

もし、そんな言葉があるとしたら。

それは本当に、結果に関係なく正しい言葉だったのでしょうか。

誰が良いとか、悪いとか。
そういう結論を出したいわけではありません。

ただ、ひとつだけ。

結果を知る前と、知った後。
僕たちの「正論」は、同じものであり続けているでしょうか。

いい、悪い、ではなく。

何かを発信する前に、一度だけ考えてみてください。

最終的に判断するのは、あなたです。

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※もし今、つらい気持ちを抱えている方がいたら、ひとりで抱えずに話してみてください。
「いのちの電話」や、厚生労働省の「まもろうよ こころ」で、電話やSNSの相談窓口が紹介されています。

とーる|猫好きの行動経済アナリスト

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