コラム#43マーケティング

「AIが仕事を奪う」という嘘

どーも!

とーるです!

僕のインスタ投稿みていただきました?

まだという方はこちらから覗いてみてください。

https://www.instagram.com/p/DStyxvSkRy4/?igsh=azFxdzg0dDlsbWM1 今回のテーマは今流行りの「AI」です。

最近、どこを見ても「AI、AI」とうるさくないですか?

SNS開けば、今年からAI専門家という肩書きを勝手につけた人たちが、「AIがすべての単純作業を奪い、人間は創造的な仕事に専念できるようになります!」と爽やかな笑顔で語り、決まり文句では「AIを使いこなせない奴は時代遅れ」という煽り文句が躍っている。

AIがサクサクと資料を作り、AIが完璧なスケジュールを組み、AIが面倒な根回しメールを代筆してくれる。

その結果、人間は週に3日も4日も休み、昼下がりからテラス席でクラフトビールでも飲みながら「次は何をクリエイトしようかな?」なんて思索にふける……。

……悪いけど、そんなの絶対にあり得ない。

技術的には可能だと思いますよ?

しかし、ここ日本という特殊な「労働の宗教」を信奉する国において、道具の進化がそのまま「楽」に直結すると考えるのは、あまりにピュアすぎるというもんです。

そんな美味しい話があるわけないってことが、今までの歴史からみてわかりきってるんです。

AI推進派の人がよく語るのは「未来」の話です。

でも、本当に大事なのは「過去」と「現在」を比べること。

ちょっと想像してみてください。

僕たちの親世代や、もっと前の戦後すぐのオフィス。

当時はパソコンなんてありません。

書類は一枚ずつ手書きで清書して、計算はそろばんをパチパチ弾き、連絡は電話か数日かかる郵送が当たり前。

一つの仕事を終わらせるために、今とは比べものにならないくらいの「気合」と「時間」が必要だったはずです。

それから数十年。

僕たちの手元には、エクセルもメールもチャットも、そして最新のAIもあります。

昔なら数日かかった計算はエクセルが一瞬で終わらせ、郵送で待っていた返事はチャットで0秒で返ってきます。

効率だけで言えば、僕たちは昭和の働き手の数百倍、いや数千倍のスピードで「結果」を出せるようになっているはずなんです。

じゃあ、僕たちの労働時間は、数千分の一になっているのか?

週休6日になって、1日5分だけ働けばよくなったのか?

なってないんです。

戦後から現在に至るまで、基本的な労働時間は「1日8時間」のまま。

これだけ魔法のような道具が揃ったのに、今も変わらず多くの人が、朝から晩まで律儀にデスクにかじりついていますよね。

結局、効率が上がった分だけ休みが増えたのではなく、効率が上がった分だけ「こなすべき仕事の量」が増えただけなんです。

かつて1日1通の手紙で済んでいたやり取りが、今では1日100通のメールとチャットに化けて、常に「反応」し続けることを強いられています。

この歴史を見る限り、AIが来たからといって、世の労働者が、急にバカンスに行けるようになる未来はないんです。

日本のサラリーマンが売っているのは「結果」ではなく「寿命」 なぜこれほど道具が進歩しても、世の労働者たちは早く帰れないのか。

その理由は、会社と結んでいる「契約」の正体にあります。

日本の多くの職場、特にサラリーマンにとって、お給料の対価は「出した 成果 」じゃありません。

実態は、「会社に拘束された 時間 と 日数 」に対してお金が払われています。

例えば、あなたが最新のAIを完璧に使いこなして、本来なら8時間かかるはずのタスクを「5分」で完璧に終わらせたとしましょう。

そこで、「終わったので帰ります! 給料は1日分ください!」と言って、笑顔で席を立てるか。

絶対に無理ですよね笑。

上司はきっと、「お、すごいね。じゃあ暇なら、こっちの仕事も手伝って。あと、午後の定例会議も出ておいて!」と、新しい仕事をニコニコしながら持ってくるはずです。

日本において、時間は「入れ物(器)」なんです。

テクノロジーによって中身を詰めるスピードがどれだけ上がっても、器である「8時間」という枠組みが変わらない限り、その枠が埋まるまで働き続けることを強要されます。

「アイツは暇そうだ」と思われないために、意味のない会議に出たり、忙しいフリをしてパソコンの画面を眺めたり……。

そうやって「8時間」をなんとか消費する。

この構造がある限り、AIは労働者を自由にはしてくれません。

むしろ、「5分で終わる仕事を、いかにして8時間かかっているように見せるか」という、なんとも高度で不毛な演技力ばかりが磨かれていくかもしれません。

「当たり前」のラインがどんどん上がっていく恐怖 もう一つ、テクノロジーが追い詰める理由があります。

それが「 要求水準のインフレ 」です。

昔、プレゼン資料なんて手書きのメモで十分だった時代がありました。

ところがパワーポイントが登場し、誰でも綺麗な資料が作れるようになると、「綺麗なのは当たり前」という空気に変わりました。

その結果、中身を考える時間よりも、フォントを整えたりアニメーションをつけたりする時間に追われるようになりましたよね。

AIもきっと、同じ道を辿ります。

AIが美しいデザインや洗練された文章を瞬時に出せるようになれば、今度は「AIを使っていない資料は手抜きだ」と言われるようになる。

「AIなら一瞬でしょ? じゃあ案をあと10個出して」 「AIならすぐできるんだから、もっと細かいデータまで分析して」 テクノロジーは労働を楽にするために登場したはずなのに、いつの間にか「もっと高く、もっと速く、もっと大量に」という、終わりのない競争へと駆り立てる「鞭 」になってしまっています。

5分で終わる仕事が増えれば、1日にこなさなければならない仕事が100倍に増えるだけ。

これでは、休みが増えるどころか、脳の休まる暇すらなくなってしまいそうです。

結局、決めるのは「AI」じゃなくて「空気」 「AIが普及すれば労働時間が減る」というのは、ある意味でとても純粋な考え方です。

でも、労働時間を決めるのはAIの性能ではなく、その職場の「空気」や「文化」なんですよね。

「長く会社にいる人ほど頑張っている」という根性論や、「みんなが残っているから帰りづらい」という同調圧力。

そんな日本の伝統芸能ともいえる空気が残っている限り、一人だけAIを使って効率化してサクッと帰るなんて、相当な鋼のメンタルがないと不可能です。

「仕事が終わったから帰る」んじゃありません。

「定時が来たから、あるいは空気を読んで帰る」んです。

この主客転倒した構造が変わらない限り、たとえドラえもんが現れても、「ドラえもんを管理する事務作業」に追われながら、やっぱり8時間の拘束時間を全うし続けることになります。

本当に向き合うべきこと AIが普及した未来に待っているのは、バラ色の余暇じゃありません。

それは、「AIが加速させた超高速の業務スピードに、生身の人間が必死に食らいつく」という、今以上に息苦しい日常。

もし本当に、もっと休みを増やしたい、労働時間を短くしたいと思うなら、AIを導入する前にやるべきことがあります。

そ れは、「時間で働く」という今の当たり前を、自分たちの手で壊すことです。

「成果を出せば、5分で帰っても文句を言われない社会」。

それを作れるのは、人間同士の「まあ、そうだよね」という合意だけです。

「AIが全部やってくれるから楽になるよ〜」なんて、そんな美味しい話はありません。

「8時間の箱」を大切に抱え持っている限り、AIは労働をただの「高性能な加速装置」にしかならないんです。

なんてね

とーる|行動経済アナリスト